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ちょっとの隙間から


頑張る

がんばる

ガンバル


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そんなに頑張らなくてもいいんだよ

おひとりさまボウリング2 「アリになった私編」

※注意
このエッセイは、一部有名芸能人と名前がぶつかることがございます。常識の範囲でお読みください。
尚、全ての登場人物に関しましては、筆者の最大の愛情をもって登場させていることを予めお伝えしておきます。
松子自身のまえがきより


記念日にこだわる私

 今年の私は転機。今年の私は嵐。何かが起きるに違いない。いや、起こさなくてはいけない。
私はそう思っていた。2007年の不可能な事への挑戦と平行して、私はこの年、大きな問題を抱えていた。
あんまり言いたくないが、リコンだ。
どうしてカタカナで書くのかは分からないが、漢字より重々しくないというイメージがするという心理的なものだと思う。ちょっと見間違えれば、リンゴのようなもんだ。
 さて、ケッコンする時は、記念日として、いつがいいか日にちを吟味するのに、リコンとなると、その日時などは、どうでもよくなるのはなぜだろう。
どうせリコン届を出すなら、元気になる日を選ぼう!と、私の中で『この日!』と決めた日があった。
入籍した日である。別に私は、そこまで記念日にうるさい女ではない。
いや、どこからか『嘘いえ!』と言っている過去の男からの声も聞こえるような気がする。(ガハハ、黙って聞きたまえ。)
 どの道、記念日にこだわるのなら、始まりだけでなく、終わりにもこだわるべきではなかろうか。
入籍した日に、籍を抜く。いわゆる入籍した日に『お邪魔します。。。。。それでは、失礼します。』
なんか、すっきりしていていい感じがしないだろか。滞在時間はそれぞれ。
たまに空気読まずにずっと長居する客もいたりなんかして?
結婚生活もそれに非常に似たようなケースもあるかもしれないが、いちいち空気読んでたら、いちいちリコンになるかもしれない。

 私と夫の小栗は、高校の時に同じクラスになり、紆余曲折しながらも大恋愛の果て結婚した。エヘン
自慢してどうする。エヘン  
どうやら、風邪をひいたようだ。
 高校のポピュラー音楽同好会に所属していた小栗は、カルチャークラブの歌をカバーしたりして歌っていた。
高校二年の12月に、この同好会のクリスマスライブがあった。
その日、私は小栗が歌うライブの直前に、控え室で死んでも自分から口に出来ない言葉 『好きなんだけど、、、』を、言ってしまった。
小栗は、『今ですかあ〜(動揺して歌えなくなるべや)』と言い、その後、私と目が合うと照れた顔を見せながらステージで歌った。少女漫画のような話である。小栗が歌い終わったあと、ドリカムの吉田美和が歌った。
そう、吉田美和は、私達の一つ上の先輩なのであーる。エヘン
未来予想図、うれし恥ずかし朝帰りなどの名曲を、美和氏は既に高校時代に歌っていた。
美和氏がまだ世の中に出てくる前までは、後輩の私たちはよくチケットを買ってあげては、渋谷の小さなライブハウスなどに足を運んでいた。美和氏は彼女のニックネームだった。

 5年位前だろうか。単身赴任先から一時帰宅していた夫の手帳が食卓テーブルに出ていた。
何でも形から入る性格の夫らしい、立派な牛皮のカバーに入った手帳だった。
私は、カバーの後ろを何となく覗いてみた。
太郎子の写真があった。次郎子の写真があった。
単身赴任で遠く離れているからこそ、家族の写真はやはり必要不可欠である。
A型のマメな小栗から、家族を思う気持ちを私はヒシヒシと感じた。
そして、太郎子と次郎子の写真を見て、もう1枚貼られていた写真を見て、
私は『マジかい!!』と目を丸くした。
その写真の顔は、私ではなく高校時代の美和氏だったのだ。ごほっごほっ。
どうやら、風邪が悪化してきたようだ。
タリラ〜ン♪タリラリラリーラーン♪
頭の中にベートーベン?が流れた。
 しかし、これについては今、急に思い出しただけであって、小栗に対しても『なぜホワイ?』などとは一度も聞かなったし、大した重要な事でもないと思って今まで暮らしてきた。
 でも待てよ?よくよく考えると、これはかなり不自然であり、かなり重要な所だったのかもしれない。
まあ風邪も悪化する事だし、とりあえずスルーしておこう。

第1章 ボランティアな女シリーズ

『松子の介護インタビュー』MHK放送

乱子『こんにちは、本日、司会を勤めさていただきます、緑川乱子です。本日はゲストに、先ほどまで他局の波瀾万丈にご出演されていた松子さんをお呼びしています。それでは松子さん、どうぞ〜。』
乱子『はじめまして〜松子さん。本日は乱子の「さらに波瀾万丈」のコーナーに、ようこそおいでいただきました。早速なんですが、松子さんは昔から困っている人をみると、誰でもかまわずお声をかけてしまう性分らしいですが、これは世間一般から言うと、なかなか極めた域に達しているようですね〜?なにやら車で走っている時に、買い物袋を重そうに持った老人をみただけで放っておけないらしいですが、まずは見知らぬ方にどう話しかけるのですか?』。
松子『あの、すみません。よかったらお家まで送りますよ?』
乱子『それって当然、怪しい人と思われたり、警戒されたりしませんか?』
松子『えー、なので、まず黒いサングラスは完全に外してから話しかけるようにしています。』
乱子『それは絶対条件ですよね。松子さんの場合、普通でもちょっと怖そうに見えますもんねー。あっ、失礼。』
松子『全然いいんですよ、乱子さん!(ぱしっと、肩を叩く)。自分でもよくぞ見知らぬ人の車に乗ってくれるもんだな〜って思うんですよ。たぶん分析するにはですね、後ろとか横に幼い太郎子と次郎子が乗ってるからではないでしょうか。まさか幼児を乗せて凶悪犯罪に巻き込まれるとは思わないでしょう。』

乱子『松子さん!それって子供を使って相手を安心させて、コンビニ強盗とか出来ちゃいそうですねー。』
松子『いやだ乱子さんったら、面白い事言いますね〜(ぱしっ)。』
乱子『松子さん、ちょっとだけ、力弱めてもらえませんか。』
松子『その子供達が4歳と2歳になった頃、夫の小栗が盲腸で入院した事があるんですよ。その時に、点滴をぶら下げながら、廊下をシャキンと歩く美人なおばあちゃんに出会ったんです。おばあちゃんは、「私はね、もう80歳になるの。いいねー、家族がお見舞いに来てくれて。私なんか、身内もいないから誰もこないの」って、愛らしい顔して言うんですよ。』

乱子『そう言われたら、なんかしてあげなくちゃって思っちゃったわけですね?松子さん。』
松子『いやだ、乱子さんったらもう〜! そうなの、何かお困りの事はないですか?って言っちゃったんですよ。』
乱子『ふっ、ふっ、ふっ、松子さん、それが運命の一言となったわけですね?』
松子『乱子さん、ちょっと気持ち悪いです。』(乱子、2カメに爽やかな笑顔。)
松子『おばあちゃんは、「腕時計の電池がなくなって困ってるのー。」と言ったんです。確かに病院のお店には、多少の生活用品が置いてはあるけど、時計の電池などは置いていないでしょ?』

テロップ1
「病院の売店では買えないもの。看護士が出来ないこと。こういう事こそが、身内のいない人には困るわけです。」

松子『私はすぐに車を走らせ、時計の電池を買いに行って、おばあちゃんに届けたんです。』
乱子『松子さんってお尻軽いですね〜。』
松子『乱子さん、ちょっと表現が違いませんか?』
乱子『大丈夫ですよ。続けてください。』
松子『神様は人間には、もてる分の荷物しか与えないって言うじゃないですか。ついつい、もっちゃったんですよ。おばあちゃんが他界するまでの1年。』
乱子『1年もですか〜? 小さい子供抱えて? まったくの他人なのに? わざわざ?
   めちゃくちゃ貧乏なのに?』
松子『乱子さん、最後のフレーズだけ何となく余計じゃないですかね。』
乱子『いやいや感心してるんです。松子さんってホントいいふりこきなんですね。』
松子『乱子さん、ちょっと表現、間違ってません?』
乱子『気にしないでください。すっごく似た身近な人を知っているものですから。』
松子『ところがですね、半年ぐらいしてから、おばあちゃんの家の近所に住む55歳くらいのおじさんから呼ばれて、こう言われたんです。
「アンタすっごく親切にしてくれてるから言うけど、おばあちゃんんは、あと半年くらいの命だって医者から言われてんだ。肝臓ガンで手遅れだってさ。そう思って、アンタも覚悟だけしときなよ。」って。

乱子『松子さん、その時どう思ったんですか?』
松子『覚悟しなくちゃいけないのは、オメエの方よ!って、遠山の金さんになった感じでしたね。』
乱子『松子さん、どっかズレてませんか?』
松子『乱子さん、下ネタは大丈夫ですか?』
乱子『なんですか!いきなり〜。
   やっぱり下ネタはワサビより生姜ですよね?』
松子『それ、なに狙いですか。』
乱子『松子さん目が冷たいです。すみませんでした。続けてください。』

松子『ある日、おばあちゃんがですね、こう言ったんです。「おじさんも男だからね、たまに求めてきたりするんだけど、この年になると、させてあげたくても出来ないもんなんだよ。アンタまだ若いから分からないかもしれないけど、女はね、、、、、、、、」と、とんでもない話を始めたんですよ。』

乱子『えっ、その55歳のおじさんと、80歳のおばあちゃんは、そういう関係だったんですかあ!!!』
松子『いやあ〜最初私も混乱しましたけど、エッチが思うように出来ない話を聞かされた事は驚きました。とりあえず、前歯が片方抜けたままの親切なおじさんの色情が自分に向いて来ないように、おじさんの前ではいつも黒いサングラスかけてましたね。』

乱子『松子さん、それ逆に存在をアピールしてませんか?』(松子、2カメにウィンク。)
松子『お年寄りの世界を垣間みて、私は、いろいろな事を知りましたねー。』
乱子『おっ、その目は、なんか真剣な事を語ろうとしてますね?』
松子『70歳を過ぎると公共の機関が安くなったとしても、身体が健康でなければ、公共の機関など乗れやしないんです!しかも、収入が無ければ、タクシーなんて高くて乗れやしない!
だから私は、太郎子を幼稚園に降ろしたあと、次郎子を引きずりながらもおばあちゃんの家に行き、通院の送迎をせっせとしていたんです!身内が居ない人は、どこに頼るのだろうって、福祉に対していろんな疑問が湧いてきて、社会福祉士の資格でもとろうかと、真面目に思ったんです!』

乱子『でも、活字読むと頭痛くなるから、あっさり辞めたんですね?』
松子『いやだ乱子さん、どうして私のことそんなに分かるんですかあ〜(ぱしっ)。』

テロップ2
『70歳以上の方は公共交通機関無料!』としても、健康でなければ何の役に立ちません。

松子『このおばあちゃん、私と出会ってからの1年で2回、引っ越しをしたんですよ。最初のアパートの大家さんは、遠い親戚だったらしく、おばあちゃんが入院している間に行われてしまったんです。そこで、おばあちゃんの確認をとらずに、沢山のものが捨てられたんです。おばあちゃんは、深く消沈し、「壷に入っていた小麦粉を捨てられた」、と嘆いたんです。』
乱子『小麦粉一つ捨てられた位で、そんなに悲しむものなのですか?』
松子『悲しむんです!お年寄りは。ここで私が知ったのは、若い人は、小麦粉くらいまた買えばいいと思いますよね?でも、お年寄りには、その発想はなかなか出てこないんです。』
乱子『まして財力が無ければ、買い直すという事は、大変な事だという事ですね?』
松子『年を重ねれば重ねるほど、欲はなくなっても、物を捨てられなくなるという心理が、どこか分かった気がしましたね〜。ちょっと不思議なのが、このおばあちゃんは、生活保護を受けていたんですね。でも食べ物は、自然食のお店で食品を買い物しているんです。きっと小麦粉も普通より高い物だったんでしょうね。そして私に「いつもガソリン代をかけさせて悪いから」と言って、その自然食の野菜の残りをくれるんですけど、それがちょっと傷んでたりするんです。でも、私は傷んだりしているところをよけながら、きちんと調理して、きちんと食べて、「美味しかったよ〜」と、おばあちゃんに報告してあげるんです。そしたら、ものすごく嬉しそうに笑うんですよ。』
乱子『気持ちを気持ちで返すっていうやつですね。涙が出ますよ、松子さん。』
松子『全然泣いてないじゃないですか、乱子さん。』
松子『そして、おばあちゃんは、そこのお店のスタンプを一生懸命貯めていたんです。おばあちゃんは、そのスタンプの集めたものを、「結構な物に交換できるから」と私にあっさりくれたんです!』
乱子『物に執着するはずのおばあちゃんが、こつこつ集めたものを松子さんにあっさりとくれたんですか?おばあちゃんは、もしかして自分が癌だって事、分かってたんでしょうかね(ぱしっ)』
松子『乱子さん、今、叩くとこじゃないでしょう!!』

MHKアナウンサーのナレーション(男性)
 おばあちゃんは、自分の寿命を察知してたのでしょうか。
お年寄りの知られざる恋愛
一時退院したおばさんの引っ越し先は、今までよりひどく、共同玄関に共同トイレのアパートでした。
日当りが悪く、気持ちも暗くなるような、そんな所におばさんの遠い親戚は勝手におばさんの荷物を運びました。
そのアパートには、独り者のお年寄りばかりが住んでいました。
売れない芸人が住む共同トイレのアパートという意味合いとは違った未来を感じる事のない、なんとなく気が重くなる空間。
おばあちゃんの向かいの部屋には、85歳になる女性が、ほぼ寝たきりでいました。しかし、そこには60代のボーイフレンドがいて、ずっと面倒をみているという光景もあったのです。
松子は、『おばあちゃん、住めば都って言うから、お部屋きれいにしてがんばろうね。。。』
と言って、おばあちゃんを励ましました。

松子『ところが、このおばあちゃんは、すぐに日当りのいいアパートを見つけて、さっさと引っ越しをしたのです。』
アナウンサー『あの松子さん、マイクを返してもらえませんか!!』
松子『おばあちゃんは、この日当りの良い部屋を拠点にしながら、あちこちの小さな病院を転々と入院したのです。原因は、おばあちゃんにありました。おばあちゃんは、よく見るとかなりの美人。
私にさらっと話しかけてきて、「電池がないの。」と、計算なく甘えられる愛嬌を持っているのです。
男にもてないわけがない。
そう、お年寄りばかりが入院している小さな病院にいくと、勿論そこには、長くいるお年寄りの派閥が出来上がっているのです。
目に見えない男女関係だって、当然出来上がっているわけです。そこを、おばあちゃんは悪気無く複雑にしてしまうというちょいワル女だったのです!結局、同性から親切にしてもらえず、居心地がよくなくなり、次の病院へ移らざる得なくなるのでした。』
松子『はい、いったんコマーシャルは入りまーす!』

松子は、テレビに出ても、お節介な性分だった。


職業なんか関係ねー(当時の松子の日記バージョン編)

 日当りのいいアパートの大家さんに会ったので、挨拶をした。
私が孫でも親戚でもない事を知ったら、この大家さんったら
『世の中には、こんな親切な人がいるもんだね〜。ご主人の仕事は?』と、聞いてきた。
『刑事です。』と、答えると、
『あっ、刑事の奥さんだからかあー』と納得していた。
ンなわけないだろう!!
『そんなの関係ねー』という小島よしおのネタは、私が奴に教えてやったものだ。
 その頃になって、おばあちゃんの別の遠い親戚とやらがやってきて、おばあちゃんの部屋から勝手に通帳を持ちだし、貯金がない事に腹を立て、病院にまで来て、『これしかないの?』と、責めていた。
 しかも、私の存在を知り、財産目当てでないかという事を言ってきた。
ぶっほー!!財産? そんなもん、どこにあるんじゃいっ!!
そういえば、おばあちゃんは300万持ってたらしいけど、布団買ったり、腰のコルセット買ったり、着物買って全部使ったと豪語してたっけ。
たぶん、その買い物って、卵を無料で配ったりして、お年寄り集めて、はーい!はーい!と手を上げさせて、最後に高額な物を買わせる所にはまって買ってしまったみたいだけど、まあ、全部使ってしまって良かったに違いない。
おばあちゃんは、葬式にお金がかからないように、なにやら創価学会に入会したらしいが、自分の葬式のために入会したのか、入会して葬式の不安がなくなって300万使ったのか、どっちなのかは聞かなかった。そうしているうちに、おばあちゃんは、少しずつ様態が悪くなって、モルヒネをどんどん打たれ、ほとんど意識がなくなっていった。私はおばあちゃんの病室に通いながら、初めて会う看護婦さんに『お孫さんですか?』と聞かれては、『いいえ』と答え、寝顔をみては『どうして、このきかないおばあちゃんを最後まで看取ることになったのかな〜』などと、ぼんやり考えていた。
その病院にどれくらいの期間通ったかは覚えていないけど、おばあちゃんは私が一人病室にいる時に、すーっと横で旅立って行った。
8月のまだ蒸し暑いお盆過ぎの夜だった。
おばあちゃんがくれたスタンプは、ヨーロッパ調?の素敵なスタンドライト2つに交換され、私の家で存在感を漂わせていた。
 値段にしたら、2万円くらいのものだっただろうか。
2万円分もスタンプ貯めて、おばあちゃんが生きていたら、どんな物をカタログから選んだのだろう。


あとがき
 そのスタンドは、それから10年後の松子のリコンの時に処分され、思い出だけが松子の心の中だけにしまわれた。もう一つ、松子の心の中だけにしまわれた事件がある。
松子は病室で、おばあちゃんの口にスプーンで少しずつ食事を与えていた。ある時、おばあちゃんが呼吸が出来なくなり大変なことになった。
なんと口の中に食べ物がいっぱい詰まっていた。何一つ飲み込まれていなかったのだ。
 松子は優しい性格だが、とてもせっかちだった。

第2章 こんな女どうよシリーズ


自慢する女

 そのライブから数日経ったクリスマスイブの前日の12月23日、松子は小栗旬激似の小栗君から『じゃあ、付き合おうか』と言われ、松子と小栗君は付き合い始めたのである。
そして、それから8年後の12月24日に東京の板橋区役所で籍を入れた。
ケッコン式は故郷に戻り、3月14日がケッコン記念日となった。
この日を選んだのは、円周率のように永遠に続くようにと願をかけたのである。
昔のテレビ番組で、お父さんが番組の課題に挑戦して三百万をゲットするというのがあった。
ケンダマだったり、皿回しだったり、暗記物だったりと、そのときどきによってあらゆる課題が出て、一週間という期限の中で、チャレンジして、最後にスタジオでその成果を披露するのである。
たまたま円周率を百桁まで暗記するというのがあった。
松子は番組を見ながら、20分で暗記してしまった。
この時、松子16歳。松子は珠算塾の娘として生まれ、青春時代をそろばん持って、全国大会を回るという人生を送ってきたというから、その賜物であろう。
 もっと言えば、付き合ってもいない、大した電話もかけた事のない男の携帯番号まで、スラスラ出てきてしまうので、『○○君の電話番号知ってる?』と聞かれても、(ここですぐに答えてしまっては妙な誤解を受けては厄介だ)と思う松子は、わざと携帯で調べてみたりと、いいんだか悪いんだか分からない小細工をして今まで生きてきたという貴重な変人である。
松子が死ぬまでにやってみたい事の一つはコレだ!
総理の耳元に近づき、
『子供には、絶対にそろばんを習わせるべきだ』と囁く。

 ついでに、あの美和氏も実は松子の親が経営する池田町の珠算塾に通っていた。いつも掃除を手伝って帰ったり、とても聡明な子で、1級までがんばって中学に入る時に、『私は歌の方でがんばります。』と言って、そろばんを辞めた。
それから数年後、松子の高校の入学式の日、教室の入り口にいきなり現れた女がいた。
頭はクリクリのパーマで、白いツナギを着ていた。
『松子ちゃーん!分かる?』と言って、外人なみのたいそうなハグをしてきた。
体育館で行われた入学式のオープ二ングは、美和氏率いるバンドで派手に始まった。
ついでに言っておくが、さくらまやも、東京に行く寸前まで美和氏を教えた珠算講師の元に通っている。
この事実を知れば、総理も納得するじゃろう。

 一方、松子の暗記力は、30代あたりから徐々に衰え、円周率も今では3.14159265358979323846までしか覚えていない。覚えていないのが悪かったかのように、松子と小栗の円周率も、ここまでとなった。
二人の付き合いは、ちょうど24年でピリオドを打ったのだ。
 しかし、入籍記念日にリコン届を出すという案に、さらなる案を加えてきた男がいた。海老蔵だ。
『12月23日に付き合い始めて、24日に入籍したなら、25日にリコンしたらいいんじゃないですか〜?』
『もし、またケッコンする事があったら、26日にして、またダメだったら、27日で、、、、、、、、、、んでもって、繰り返しながら年越しちゃう? みたいな?』
失礼な!何回ケッコンすると思ってるんだ!
しかし、単純な松子はこの海老蔵の発案に感動し、早速自分の人生に取り入れる事にした。
何においても、リズムというのは大切だからだ。
 そして、この海老蔵こそが、のちの松子の人生を大きく変える事になった。

サバイバルな女

 松子の30代は、サバイバルだった。
それこそ、最初はボランティアで手伝い始めたモデル事務所の仕事だが、それこそ円周率のようにエンドレスに休みなく働いた。まだ小学校入学前の太郎子と2つ年下の次郎子を抱え、夜遅く仕事を終え、マンションの駐車場に着くと、2人は車の中で必ず寝ていた。松子は、一人一人死体を運ぶかのように部屋まで運び上げ、最後に車を立体駐車場にしまい、学校のカバンやら着替えの袋やらを持てるだけ持って帰宅するという繰り返しの日々だった。
神様は、人間にはもてる位の荷物しか与えないという言葉を無理くり結びつけ、持てるだけ持っては、『私はモテル女』と自分を励ました。
 そしてまた朝を迎え、子供達の寝不足を避けるために、ギリギリまで寝かせ、太郎子を車で30分はかかる小学校まで、100キロのメーターをちらつかせながら送り届け、今度は次郎子を幼稚園に送ってから、会社に出勤していた。出社前の90分コースだった。
松子は、たまに警察に捕まっていた。
そして常に時計を見ながら仕事をし、水曜日は12時、他の曜日は14時になると車を発進させ、幼稚園に迎えに行き、また時計を見ながら仕事を続け、今度は太郎子が札幌駅で乗り換え、学校から1時間半近くかけて会社の近くの地下鉄の駅まで帰ってくるのを迎えに行った。
松子は、たまに他の車にぶつけていた。
その他、子ども達の習い事の送迎もしていた。常に時間との戦い。松子は毎日を過ごしていくだけで精一杯だった。大会社ではこんな働き方は通用しない事である。松子の生活もサバイバルだったが、会社の運営もサバイバルだったから、成立してたのかもしれない。
 松子は、そんなサバイバル生活でいろんな失敗をしてきた。
太郎子が1年生の運動会。
ゼッケンを作らなければならなかった。
サバイバルな松子には、ゼッケンを作るというこの作業さえ、辛かった。
 ところが、後にホノルルマラソンの相棒となった新子が、『私が作ってあげるわ〜!』と言ってくれた。学校からもらっている1216と書かれた見本のプリントを差し出し、太郎子の出席番号が18番だという事を告げた。新子は、私の代わりにそれはそれは綺麗に作ってくれ、しかも、それを会社まで、ご主人に運転させ、届けてくれた。
90度頭を下げ、見送った。
『1218』と出来上がった立派なゼッケン。
有り難いなーと、しみじみ見つめた瞬間、松子は『まずい!』と思った。
太郎子は、1組だったのである。
『1118』と書かなければなかったのだ。
タリラリラリラーン♪
 運動会は翌日だった。
松子は、ユニクロに行って、安いTシャツを購入して、夜中に、そのTシャツに直接書き入れた。
なんとか完成した。松子的には、ばっちりだった。
松子はこう思った。
『みんな私のように安いTシャツを買って、そこにそのまま書き入れてしまえば楽なのに。みんな、うちより金持ちのはずなのに、意外とケチ?』
 翌日、運動会へ行き、太郎子はそのTシャツを来て、元気にいったん教室へ走って行った。
そして松子は、グランドに向かって歩きながら、他の女の子のゼッケンの色を見て、再び『まずい!』と思った。
そして愕然とした。
赤だ!!そう、女の子は赤だったのだ。
『でも太郎子が学校からもらってきた見本のプリントは、黒だったじゃないか!!』
『って、学校からもらうプリントは白黒でしょう。』
と、自分で突っ込みながら落ち込んだ。

太郎子は、女子100メートル競争で、一人黒字のゼッケンを鳩胸につけ、ゴールに向かって健気に走ってきた。
1年目、松子は、女の子のゼッケンの文字は、「赤いマジックで書く」という事を学んだ。


とことんアホな女

 太郎子が2年生になった翌年の運動会は、襟に2本線が入った運動会にぴったりのTシャツを、松子は偶然にゲットした。
当時、ハンディカムのCMで渡辺篤史と田中律子が夫婦役で、運動会のシーンを撮影する仕事があったのだ。その時に、昔ながらの襟にラインが入ったTシャツと短パンがエキストラに配布された。
松子はそこに赤マジックでばっちり2118と書き込んだ。
『これで文句を言う者はおるまい。』と、松子は自信満々だった。
同じ白いTシャツでも、赤い2本線があった方が、集団の中にいても、探しやすかったし、ばっちりだった!!
ところが、他の子は皆、学校の体育で来ている指定のTシャツにゼッケンをつけている事にふと気付いた。
(またやらかしてしまったか?)松子の顔が暗くなった。
(プリントに書いてあった、白いTシャツというのは、もしかして学校の指定Tシャツだったのか?それだったら、いくら金持ちでも、直接Tシャツに書かんわな。とほほ)
松子は頭を抱えながら、最終確認のため隣の敷物に座っている父兄に、こう話しかけた。
『もしかしてですね、学校のTシャツを着るものなのですか?』
『そうですよ。』と、あっさり言われた。
松子は、心の中で(シマッタ〜聞かなきゃよかった。見れば分かるものをよ〜。)と嘆いた。
2年目にして、松子は『運動会のTシャツは、学校のものを着る』という事を学んだ。

 ちなみに、小学校入学の絶対出席しなければならない入校説明会も、松子はすっかり忘れ、会社に教頭先生から電話が入り、翌日、学校に細々と出向き、説明を聞いてきた。
 とにかく毎日がサバイバルなのである。
必死に生きて来て、このザマなのだ。
失敗しながらも、ようやく入学式当日を迎えた。
教頭先生は転勤になっていた。馬鹿な母親のレッテルをとりあえずは白紙に出来た気がしていた。
太郎子の紺色の制服に白いタイツという清潔感溢れる太郎子の姿に、母親として松子は大満足していた。
ところが、これもまた失敗だった。
タイツは黒という決まりだったらしい。
太郎子だけが、ぽっちゃりした短い足に、白いタイツを輝かせていた。
 こういった数々の失敗から、お堅いお母様達からは、松子は『変わった人』『あまり友達になりたくない』『近づきたくない人』という新しく素敵なレッテルを貼られ、孤独に母親業をこなしてきた。


オヤジ化した女

 子供を育てながら男並に働くというのは、これは大変な事である。いつも思うが、男はすごい量の仕事をしても、休みの日にゴルフに行ったり、夜はお姉様のいる店に行ったり、そういう娯楽がある。男を非難しているわけではない。娯楽がある分でかい事も出来るのだ。
 女は、なかなかそうはいかない。子供がいつも背後霊のように、くっついている。
核家族であれば尚更だ。松子の仕事も当時は、やたら接待が多い仕事だった。
家に居たがらない性格の子供達からは、ビービービービー数十分おきに電話がかかってくる。
その電話に出ないでいると、子供達は単身赴任先の父親に泣いて電話をかける。
今度は、小栗から松子に電話がかかってくる。
もちろん『大変だねー。大丈夫か〜?』でなない。
『何やってるんだ!』という事を言われる。
100人の男がいたら、殆どの男がそう言うに違いないのだろう。
 しかし、家庭内不和と引き換えに、会社は少しずつ大きくなっていった。
同時に、松子の癒される場所はなくなった。
発狂しそうになった。ストレスも溜まった。
女の松子には、休みもなければ、発散する時間さえもない。
『時間がない』という5文字の言葉が、いつしか松子の口癖となった。時間がないのと、松子の人生の中での数々の車の事故は、絶対にリンクしているに違いない。
だが世の中、忙しい人がみんな事故を起こすのか?
クイズ100人に聞きました。で、インタビューしても、松子の味方はいないだろう。 

自画自賛する女

 女は、家に帰っても仕事がある。
遅くに帰っても、そこからがまた仕事の始まりなのだ。
洗濯物がたまったら、洗って、干して、しまって、また洗って、干して。
松子が当時よくやっているスタイルは、テーブルの上に洗った洗濯物の山をドサっと置き、その隣に置かれたご飯(つまみ)を食べながら、ちょっと干しては、ビール飲んで、
ちょっと干しては、なんか口にして、
ちょっと干しては、テレビの方みて
ちょっと干しては、ビール飲んで、、、、
このスピード感覚と回転力は、モーグル選手と対を張るほどだ。
客観的にみても、この女、
そこまでして、
干したいのか、
飲みたいのか、
食べたいのか、
時間ないのか、
格好良いのか、
いやしいのか、
(思いの他、文字数だけはパーフェクトだ。)
掃除なんて、2の次ぎ、3の次ぎ。
掃除機かけなくたって、死ぬわけじゃない。
さぼっているわけではない。精一杯なのだ。
そんな松子を、どこか一つ責めようものなら、間違いなく、涙が、どばっ!と、こぼれ落ちてくる。
誰にどう思われてもいい。
松子は毎日を精一杯生きているのだ。
『誰も私を責められない。』松子はそう思っていた。
ところが、責める奴がいた。
やっぱり小栗だった。
その当時の小栗の姿は、のちの東京ドッグの小栗の見本になった。
もし、あの時、松子の元に水嶋ヒロが現れていたら、松子は間違いなく水嶋ヒロの胸にドボンと飛び込んだだろう。

働きたくて働いてるわけじゃない。
困っているから助けているだけなのだ。
誰にも理解されない松子の性分。
乱子に言わせれば、いいふりこき。
この答えは、何年経った現在となっても、解決されていない。
あの当時のサバイバルをもう一度繰り返したとしたならば、松子は確実に精神病院に搬送される事になるだろう。
『サバイバルをもう一度』
なんか歌にでも出来そうだ。


完璧な夫をもつ女

 太郎子が4年生になって、単身赴任の小栗が戻ってきてからは、小栗がゼッケンを見事に作り上げた。
A型のマメな小栗は、手芸屋さんに買い物に行き、赤いフェルトで数字を切り取り、白い布にそれを強力ボンドで貼り付け、誰よりも立派なゼッケンをつくり上げ、学校での松子の名誉挽回をはかった。
洗濯物も、きれいにアイロンがかけられ、制服のブラウスもクリーニング屋さんのように、きれいにたたまされ、いつも高く積み重ねていた。
松子が遅くに家に帰っても、おかずをテーブルに用意してくれていた。
お刺身などの冷たいものは、皿の下に、氷を敷いてセットされていた。
冷蔵庫の中も、タッパーに日付が書かれ、完璧だった。
炊いたご飯もラップに包まれ、冷凍された。
小栗は、単身赴任で完璧な主婦業を習得していた。
松子が育った家の冷凍庫には、氷しか入っていなかった。
冷凍なんかせず、肉も魚もニオイで判断し、さっさと食べるのが流儀だった。
サバイバル女と、完璧な夫。
美和氏の下で歌っていた小栗は、高校時代はデザイナーになりたい夢を語り、成人してからは飲食店をやりたいなどと言って、有名なイタリアンレストランで修業した。
だが、28歳にして想像を概して公務員となった。

松子の両親は姓名鑑定の仕事をもう何十年とやっている。
小栗の生年月日からはこう出ている。
『プライドが高く、商才はないが、官公庁の仕事に向く。』
公務員となった小栗は、水を得た魚のように、現在の仕事を天職としている。

一方、松子の運命はこうである。
組織に入ると上司と合わず辞める。堅い職業に向かず、華のある職業に向く。どんな恵まれた配偶者と結婚しても2度離婚し、3度目に幸せをつかむが、結婚せずに自由な職業につくと大成する。

松子もこの両親のもとで姓名鑑定を学び、多くの人を鑑定してきたが、良くも悪くも当たって困る。
 松子は、必ず2度、リコンする。
この話をすれば「松子と結婚して離婚したいと思う男以外」は、怖くてプロポーズしてこない。
しかし、恋は盲目という。盲目だからこそ、1度目の結婚も、占い通りにはなるまいとして結婚したのだから、2度目もあるかもしれない。ふふふ現れて来い、次なる旦那よ。カモ〜ン。
松子の地響きのような声が聞こえる。


笑う女(OL風に語ってみます編) 

 よく、リコンした人から聞く言葉で、『リコンする時のエネルギーって、ケッコンする時のエネルギーの何倍もかかる』って言うじゃない?
 それってえー、一言で言うと『もめるから』なんだと思うのおー。
いい大人が、そんな事で、もめるのって、レベル低いと思うねーアタシ。
 『養育費なんだけど、これくらいでどうかな〜?』
「えっ、そんなにしてもらわなくても大丈夫よ〜」
『いや、子どもたちのために出来る限りの事はするよ』
「分かったわ。その代わり、一生懸命育てるわ。ありがとね!」
って、感じになるって思ってたのねー。
 それがさーあー、大したどうでもいい事でもね、まったく考え方が合わないのおー。
で、アタシね、考え方が合うくらいなら、最初からリコンなんてしないわけよねえって、やっと気付いたのねー。
アタシさあー、その事に妙に納得しちゃってさあー。リコンってやっぱりリコンするだけの意味ってあるんだなーって、つくづく思い知ったのねー。
でねー、早く家裁に行って決着つけてくれって、元旦に言われたのねー。(注意※元旦じゃありません。元旦那です。モトダンと読んでください。)
でもねーアタシねー、奴隷みたいに働いてるでしょー。
そんな時間ないのねー。しばらく放置してたら、また、催促のメール来たのねー。
それで、仕方なく行ってきたのー。
建物に入ってー、左が簡易裁判所の相談受け付けでー、右側に家庭裁判所の受付があったのー。
その中間に、警備員が恐そうに座ってたのねー。
アタシねー、思わずこの人に、駐車券出しちゃったのー。
でも、すぐに気付いてー、百万ドルの笑顔ふりまいて、家裁の相談の入り口の方に向かったのねー。
だってー、不幸そうに思われたくないじゃない?  
そして、ワン、ツー、スリーって感じで勢いつけて、自動ドアの所に行ったらねー、あたしったらあー、急におかしくなっちゃったのー。でねでねでね、このまま入ったら吹き出しちゃう!って思って、自動ドアのマットから、すばやく横に飛びずれたのねー。

でもねー、なんでこんな時に、おかしくなっちゃったのか、自分でも分かんなくってー。小学校の時の運動会の行進の時とかー、みんなに見られて、まじめに歩こうと思えば思うほど、アタシって笑っちゃってたタイプなのねー。それもついでに思い出しちゃったのねー。
そしたらあー、お腹からぶひぶひぶひぶひ笑ってしまってー。
どうにも止まんなくなっちゃってー。
でもねー、警備員の人の視線感じてー、さすがに「まずい!」と思ったのねー。
だって家裁の入り口の前でずっと笑い続けて中に入れないでいる人がいたら、完全に精神病院から出てきた人みたいでしょ?
 とりあえずアタシ、収拾着かなくて、そのまま逃げて帰ってきたのねー。
そしたら、駐車場のおじさんに印鑑ないって怒られたわよー。


泣く女(家庭裁判所編)

 それから無事に、調停の書類を出してから、松子は数ヶ月後の11月29日に家裁に呼ばれた。
その間、松子は小栗から、とにかく早くしてくれと言われたが、松子は私に言われても困ると思っていた。
そんなに急がなくても、紙切れ一枚のことなのだから。と松子はのんびり構えていた。
その日、松子と小栗とは顔を合わせず、30分ずつおきに調停員の方を仲介して、リコン後の条件などが取り決められていった。
最後に調停員の方が、優しくこう言った。
『これで、調停が成立して11月29日がリコンの日となりますので。』
ちょっ、ちょっと待って〜!!
今日?今日がリコンの日になってしまうって〜?
そんなの聞いてないし、それとっても困るわ〜。と、松子は心の中で叫んだ。
12月25日に東区役所にリコン届けを出して、そのままスーツケース片手に空港まで行って、ニューヨークに降り立つ松子の計画が、雪崩のように地響きを立てて崩れ落ちて行った。
松子の目からいきなり涙が出てきた。
だが、計画が崩れた事の悲しみではない涙である事くらいは、アホな松子自身も気付いていた。
あとは裁判官を前に、夫と二人並び、本日取り決めた事を聞くという。
ちょっ、ちょっと待って〜!!それも困るわ〜。
そう思った松子は『すみません、大変お忙しいところすみませんが、二人バラバラでお願いしてもよろしいでしょうか?』と、最大の我がままを言った。いつも人のために自分をボロボロにしながら生きてきている松子は、こんな時くらい、我がままを言わせてくれ。。。と心の中で願った。
調停員は年輩の男女の二人で構成されている。
男性の方が、『もしかして、リコンしたくないのではないですか?』と聞いてきた。
女性の方が『横にいても、そっぽを向いていても良いのですよ。』と、言ってきた。
松子は、そういう問題ではないんだよな、、、と思いながら、ここは本当にリコンしたい人たちが来る場所なのだと思った。
松子は、バックからティッシュを出しながら、冷静にこう述べた。
『わけの分からない涙を流されては、裁判官も困るでしょうし、横の夫も困るでしょうから、出来ることならバラバラでお願いできないでしょうか?』
『そうね、ずっと長くいたのだから複雑な気持ちがある事でしょう』と理解され、松子は小栗と並ばず裁判結果を聞いて納得した。
裁判が終わっても、今度は、印紙などを互いに売店に買いに行くなど多少の手続きがあるのだが、男性の調停員が松子と小栗を会わせないことに大変気を遣ってくれ、小栗からは印紙代をお金で預かり、松子を売店まで行かせ、二人を会わないようにしたてくれた。
しかし、すぐに帰る小栗と、売店に向かう松子は、時間を合わせるかのようにエレベーター前でバッタリ会った。
咄嗟に小栗の口からは、親戚のおじさんが亡くなった葬式が終わった話や、最後の荷物をどうするかなどの話が出て、松子と小栗は普通に会話していた。
そこへ男性の調停員が現れ、人生最大の失敗をしたかのような責任を感じて、あとで印紙を持って行った時に松子に申し訳なさそうに謝罪してきた。

 松子が、小栗の横に並んで裁判結果を一緒に聞けずに涙した理由。
別に小栗の顔を見たくなかったわけではない。調停員のおじさんには分からないかな。
女の涙。。。。それは計り知れない深さがあるのです。


マゾな女

 松子は、かつて家族で住んでいたマンションに、最後の荷物の整理に行った。
電化製品、新婚時代から使っているダブルベッド、冷蔵庫、テレビ。殆どの物を小栗から要らないと言われていた。すべて買い直して、新しい住まいを見つけたらしい。と言っても、とっくに家を出されていた松子は松子で、ゼロから生活を立て直していたため、要らないと言われても、松子だって困ったが、松子お気に入りの、大理石のダイニングテーブルと、松子と同じ年齢くらいのアンティークな誰も弾かないピアノ。これだけは捨てたくなかったが、松子の新しい住まいに運んだところで、床が抜けるに違いないと思った。
ふとダイニングテーブルの上にあった書類をみた。
現在のマンションを売り、なんと1千万以上足して、なんだかタワーの24階を購入した契約書が出てきた。
住居者欄に、大人2名、シーズー犬2匹。そう記入されていた。
リコンの手続きを急がれたワケをここで知った。
犬を飼っている女か。しかも、随分経済的にかなり力のある女に違いない。そう思ったとたん、はじめて、『人生、勝ち組、負け組』という言葉が書かれたテロップが松子の頭の中を右から左にピロピロと流れて行った。松子がもらうお金は、自分の母親が出してくれたマンションの繰り上げ返済に使った100マン円と、毎月の養育費。この100万円も、松子は結局、会社の資金繰りに投入した。松子が働く会社の経営者は、お世辞にも経営が上手とは言えなかった。
まして、よくも悪くも、松子に会社を任せ、釣り、パチンコ、リサイクルショップ巡りと、遊んでばかりいる。
その名は『本名よしひろ』と言うが、よくイタリア人と間違えられると自慢していたので、あとで立派なアダ名をつけてあげるとしよう。きっと今頃、これを読んで、自分の存在のお出ましに気をよくしていることだろう。
 しかし、こういう経営者だからこそ、松子は自分の存在が生かされるのだと自分を言い聞かせ、感謝さえして生きてきた。松子の心はいつもマザーテレサだった。
会社のために、社員のために自分を投げ打つ人生。それもカッコいいではないか。そう突っ張り続けて、松子はずっと走ってきた。
それが、たかが24階建てのマンションごときで、松子は初めて自分を『もしかして、私、負け組ってやつ?』と思ったのだった。
松子は、後ろから頭をハンマーで叩かれ、立ち直れない衝撃を受けた。松子は、そのまましばらく誰もいない部屋でたたずんだ。
その話を、松子は周りの知人、友人におもしろおかしく話した。
松子は、どうしてか悲しい話も、真面目に話せないのである。
しかし、今回ばかりは、皆『何言ってんの!』と、笑い飛ばしてくれるが、一様に皆の顔が引きつっていた。
その苦しい顔を見るのも、マゾ体質の松子には、悪くない感触だった。
それから一週間後、松子は誕生日を迎えた。
小栗は、それを狙ったかのように、松子にメールを送ってきた。
「先日、入籍しましたので、ご報告します。」
後ろからハンマーで殴られ、壁に前歯をぶつけたような衝撃を受けた。


虫扱いされる女

 リコン日に渡米失敗。
いきなりの負け組宣告。松子に残された道は、傷心旅行。
九州に行ったことのない松子は、九州の旅を探してみたが、韓国に行った方が安い事に気付いてしまった。
行ったろうじゃないの韓国へ!
こういう時の友人はありがたいものである。
相棒の新子が、一緒に飛んでくれた。
だが、傷心旅行として行ったのに、松子は更に傷ついて帰ってきた。
まず、女性の観光ガイドさんに勧められた焼き肉屋さんで、ちょっと肉を焦がしただけで、店員さんに嫌な顔をされ、窓を開けられた。
北朝鮮との境界線に行きたかったが、ガイドに『あんな寒い所に行くな。それより歴史をみた方がいい』と何度も何度も言われ、変えられた。
ガイドに無料だからと一瞬着せられたチョゴリも、お金をとられた。
予約していたエステも、ガイドの知り合いのエステに変えられた。日本に戻ったらキャンセルした方のエステのお金は戻ってくると言われたが、まったくの嘘だった。
松子が今でも、屈辱的な思いをしたという韓国話ワースト1がある。
韓国のエステに、よもぎ蒸しという女性の婦人科に良いとされているものがある。穴の開いた椅子の下でよもぎを蒸し、その上に腰かけると、体内の悪いものが外に排出されて、婦人科に抜群の効果があるらしい。松子の婦人科は、ピンピンしていたが、とりあえずは話の種にやってみる事にした。
(ピンピンと言うと、どこかエッチな感じがするが、ピンピンには間違いない。)
 その前に、松子はまずはお決まりの普通のサウナに入れられた。
グラフィックス2.jpg日本と違って、入り口が狭く、洞窟みたいになっている。そこへ麻で出来た蓑のような物をまとわされ、穴ぐらの中へ押されるようにゾンザイに突っ込まれた。これだけでも、松子は何か自分が家畜になったような気分になった。
 しかしながら、韓国エステへの期待を捨てきれず、穴ぐらサウナで待つこと15分。
穴ぐらのドアが開けられた。
ところが、『はい、よもぎ虫〜!!』と言う声が。
松子は「まさか私?、、、私のことを、よ、よ、よ、よもぎ虫と呼んでいるのか?」と、
耳を疑った。
しかし、右を向いても、左向いても、穴ぐらの中には、松子一人だった。もたもたしている松子に、片言で『はい、よもぎ虫〜!!早く出て〜』と、とどめの一発が刺さった。
仕方なく松子は、簑をまとった姿で小さい出口に合わせて背中を丸め、まさに虫になりきった姿で穴ぐらを出た。
そして、そのまま少し歩かされ、今度はよもぎ蒸しの椅子に座るように命令された。
 松子は椅子に座ったまま、無意識にも『私は、よもぎ虫。私は、よもぎ虫。』と唱えながら一生懸命に汗をかいた。
そして、松子は健気にも最後の韓国エステならではのアカスリに期待した。支払っている料金は約1万円。日本との違いを味わいたかったのだ。
アカスリの前に、よもぎ虫を忘れ、湯船でゆっくり入浴していると、待ちきれなくなったアカスリ担当者が、まるで猪木がリング上でマントを脱ぐかのように、松子の目の前でユニフォームを脱ぎはじめた。
そして、まさかの黒いビキニ姿になって、早く上がれとこっちに手招きしている。
『ここは本当にエステか?』と疑いたくなるほど、そのアカスリ担当者の容姿は、見れるものではなかった。そして、贅肉を露にして、松子をこすり始めた。前部分が終わると、横、後ろと、松子はまるで牛のように転がされた。
一つベッドを空けた向こうでも、新子がひどい扱いを受けているようだ。
韓国エステ、いったいどこが良いのだろう? エステのコースの中に、さらにオプションで占いがあった。エステの支配人の女性から、『この易の占い師は、素晴らしい先生なのよ』と説明された。
松子は占いは遠慮しておくと言ったら、今まで感じの良かった支配人が、ガラリと態度を変えて冷たくなった。

傷心旅行=心が傷つく旅行 
松子は、傷心旅行というは癒されるものと勘違いしていた自分のレベルの低さを悔やんだ。

第3章 挑戦する女シリーズ

やりたくない事をやる女

 松子は、傷ついた羽をさらに折られ、韓国海苔を土産に日本に戻ると、社長以外のスタッフを内密に集めて、会社を辞める話をした。結局、辞めると言ってもどうにも行動出来なかった。辞める辞めると騒ぎ、結局は辞めない狼少年のように思われてないか気になった。
人生何においてもそうだが、余裕がないと何も出来ないものである。
リコンだって、ある意味、余裕がないと出来ないものだ。
仕事も余裕がないと、辞めるにも辞められない。松子は、四方八方ふさがれていた。何も出来ないで終わる1年を過ごすほど、松子はもう若くない。
何かやらなくてはと、どこか焦っている自分がいた。
松子は、2008年は『やりたくない事への挑戦』と、テーマを決めた。
そんなどころでないはずなのに、何か挑戦しなくては。
相棒の新子が言い出した。
『ねえ、富士山登らない?』
いつも松子の付き合いにすぐに乗ってくれる彼女の希望を無視するわけにはいかない。
ところが、練習のために行った800メートル位のアポイ岳で、松子達はボロボロになって下山した。
『どうする。。。富士山』
『辞めるか。。。富士山』
『大変かもね。。。富士山』
新子が電話をかけてくる中、松子は、富士山ツアーを会社の玄関に貼って、一緒に苦しみを分かち合う仲間を募った。
誰も参加者なし。
結局、松子と新子と、新子の長女の夏子の3人で富士山を目指す事になった。
日本一の山からのご来光を浴び、松子は何を得たかったのか。
松子の傷心旅行のリベンジが始まった。

7月1日、富士山5合目に着いた。
山小屋で1泊。朝4時に頂上目指して出発した。
雨が降っていた。ご来光はおろか、景色も何も見えず、足元の石と土を見つめて歩き続けた。
ひたすら歩き続けた。風も強くなってきた。
100円ショップのかっぱが簡単に破れはじめた。
靴も手袋も水で濡れ、身体がどんどん冷えてきた。
松子は「てくまくまやこん、てくまくまやこん、天気になあれ♪」と言ってみた。
そしたら、すざましいヒョウが降ってきた。
神様なんかいない。
つまらない。
つまらなさすぎる。
と、そう思いながら、ヒョウの中を松子は登っていた。
ふと、視界が晴れ、下をみると長蛇の自衛隊の列が後を追いかけてきているのを目にした。
先頭はどうやら偉い人らしい。
松はどうしてもやりたくなった。
やがて先頭が松子達に追いついた。
松子はこう話しかけた。
『すみません。私の後に続いて登ってもらえますか?少しの間でいいんです。』
そうして松子は自分の直後に何百名という自衛官を従え登った。
満足したところで第一連隊を見送り、やがてまた登ってきた第2連隊も同じく従えた。
グラフィックス3.jpg従えるだけでなく、訓練で登らせれている退屈そうな自衛官を和ませ、まさに、松子は富士山のナイチンゲールと化していったのだった。

 途中8合目から一緒のパーティーにいた農家のおじさんが体力の限界になった。松子は強風でふらつくおじさんを後ろから支えて登った。65歳くらいだろうか、農業をやってきたせいか、もっと年上にも見えた。奥さんも一緒に来るはずだったのが、何かの事情で来れなくなって、おじさんは一人で参加したらしい。
弱々しい身体と、どこか鋭気を失ったような目だった。富士山は病後のリハビリで登っているようにも見えた。
 登頂後、松子はおじさんから丁寧にお礼を言われた。
『貴女がいなかったら僕はきっと登れなかった。』
 お礼を言われてる松子の下半身には、ビリっビリに破れたカッパが、かろうじて巻き付いていた。
2泊目はストーブもなく、濡れたまま眠り、濡れた靴を履き、5合目まで下山した。
そのままバスで帰ることになるので、ヨロヨロの身体でお土産さんで買物をしていた。
土産屋のおじさんがこう言った。
『お客さん、これから登るんですか?』
松子は『へっ?』と思いながら、『いえいえ今、嵐の富士山から下りてきたんです。』と言った。
おじさんはこう言った。
『あんまり爽やかだから、つい、これから登る人だと。』

 ホノルルマラソンの時にも『一人だけ爽やか』と言われ、嵐の富士山を下山してきても、『爽やかだ』と言われ、松子はどこまで頑張れば白馬の王子がやってきて『松子さん、大丈夫ですか?さあ、この手につかまって』と言ってくれるのだろうと考え込んだ。

 札幌に戻り、農家のおじさんから、近所の花を育てている農家からもらったといって紫と白の花がダンボールにわんさか届いた。
松子はお礼に、風呂好きだと言っていたおじさんに、松子お気に入りの入浴剤など送ったりして、家族ぐるみのほのぼのとした関係が続いた。
これから季節ごとに、野菜なんか届いちゃったりするのかなあ。
そんなことは期待してないよん。と、心の中で想像を膨らましていた。
田舎の農家の純粋な気のいいおじさんだった。
そのうち、送ってくるメールに♥マークがつくようになった。
松子は、おじさんが♥の絵文字が使えるようになって喜んでいるのだろうと、別段気にしていなかった。
たまに『今、奥さんが買物に行ったので、メールしてます♥』などと、どっちにとっていいか分からない文章もあったが、松子は普通にスルーした。
 ところが、しばらく経って、松子の元にこんなメールが流れてきた。
『もうメールが出来なくなりました。女房にメールをみられました。かなり怒られました。怒られて、はじめて女房以外の人に自分が恋をしていることに気付きました。』
おじさんは想像以上に純朴だった。
 ただただ困ってる人を助けているだけにすぎない松子。
しかし、おじさんの妻にはこう思われたのであった。
『うちの夫を、富士山でたぶらかした女』

ナイチンゲール松子、立場なし。


再び決意する女

 富士山を制覇した。
次の就職先など決めようとするから、辞められないのだ。
松子は次の就職先を決めてから辞めるというやり方もしたくなかった。
ある意味、無謀だったが、かつて、この会社のナンバー2は、数年で、社員の集団離脱をはかって、別会社を作っている者だらけだった。
本名よしひろ(イタリア名 イカレポンチーノ 略してポンチーノ)が、どんなインチキ野郎でも、松子にはそういう考えはなかった。
ただ、このポンチーノ、よっぽど松子に辞めてほしくなかったか、Tシャツ1枚で山奥に消えてみたり、絶食を始め、計画通りの拒食症になり、どんどん痩せてみたり、挙げ句に精神病院にせっせと通いはじめた。
しかし、松子はこのポンチーノが、自分の痩せていく姿を鏡に映して喜んでいるのを幾度となく発見していたため、まったく動揺しなかった。
そこで、ポンチーノは次なる作戦に出たのであった。
異様な目つきで松子のデスクの前に立ち、『これから小栗に会ってくる』と言って会社を出て行ったのだ。
同情作戦に出たようだが、クールな小栗が反応するわけがなかった。
ポンチーノは、今度は松子の親に、手紙を書いて送ったのであった。
『松子さんのお父さん、お母さん、松子さんは結婚前にキムタクと付き合っていました。』
松子の親は当然、腰を抜かした。
『ボクは、松子さんに迷惑ばかりかけ、経営者として反省し、切腹まで試みました。』
松子の親は、ひどく同情し、寝込んでしまった。
確かに、事務所の切れない包丁で、ポンチーノは自分の脂肪たっぷりのお腹に、2本くらい包丁で引っ掻いた事があった。
その傷は、3日で消えた。
ここまでくると完全なストーカーである。
さすがにナイチンゲール松子も、このポンチーノを世の中に放置してはいけないと、民事訴訟の相談員のところに駆け込んだ。
目の下には大きなクマ、疲れ果てた姿、松子は藁をもすがる思いで相談所に行った。
話を聞き終わり、相談員はこう言った。
『あなたほどのユニークな人なら、大丈夫!』
なんと、松子は誉められて帰ってきてしまったのだ。
松子は、よほど苦情の電話をかけようかと迷った。
『こっちは悩んで行っているのに、ユニークだと?
 私をバカにしてんのか?それとも仕事放棄か?
 まさか、こんな時に、アンタまで私を爽やかだと思ったわけじゃねえだろうな。死んだらアンタのせいだ!』

松子が話すと、どんな悲惨な話も、ギャグにしかとってもらえないのであった。 
 しかし、この直後、更なる悪夢が松子を襲った。
松子は、ポンチーノに、身体じゅうがアザだらけになるほどの虐待を受けたのだ。

(だから相談員さんよお〜、人の悩みは真剣に聞こうぜ。って〜)。


海老蔵おいでなすって

 このポンチーノ容疑者は、昔、小栗にこう言ったことがある。
『女性に手を上げるのは一番最低だ』
そう言っていた男が、松子をぼこぼこに虐待したのだ。
まだゴミ箱をかぶせて叩かれていた時の方が幸せだった。
それを聞きつけた元スタッフの海老蔵が、翌日、会社にやってきた。
帰って来たぞ、帰って来たぞ〜、ウルトラマ〜ン♪
松子はピンチになると、いつも頭の中にどうでもいい曲が流れてしまうのだ。しかし、この歌のおかげで松子はどんな時も明るく生きてこれた。
海老蔵は、松子の重傷度をみて、ポンチーノを外に連れ出した。
海老蔵は尋ねた。
『社長を一発殴っていいですか?』
海老蔵という男は、相手に手を出すときは、本当はとても礼儀正しい奴なのだ。
ポンチーノ容疑者はどうぞどうぞと言い、海老蔵に力が足りないと2発目もお願いしたらしい。
どんな凶悪犯でも、反省する一面を覗かせることもあるのだ。
翌日、ポンチーノ容疑者は、会社でこう言った。
『なんでか、右頬が痛いんだよな〜。』
海老蔵は左利きだった。
グラフィックス4.jpg松子は嫌味かと思いながらも、[えっ?]という顔をした。
ポンチーノ容疑者も、「へ?」という
顔をした。
なんと、ポンチーノは自分に何が起きたか分かっていなかったのである!
ここまでくるとイカレポンチーノという正式アダ名は、日本アダ名大賞にでも表彰されたいくらいである。
自称拒食症のポンチーノ容疑者は、もはや立派なアル中になっていた。
それはともかく、海老蔵がこう言っている。
『オレが殴ったんだから、写真が違うっちゅうねん!』

2008年、8月31日、松子は10年に渡り、自分を犠牲にしてボロ雑巾のように勤め上げてきた会社を辞めた。
この時、ポンチーノの親友で、ポンチーノに血液まで全部吸われている専務役がこう言った。
『松子さんが居なくなったら、この会社はもうもちません。』
松子には、この意味は理解できなかった。
『別に何をしてきたわけではない。ただ、私がいなくなったら、
トイレ紙を書く人がいなくなるのは確かだわな。』
松子は、それくらいのことしか思わなかった。


アリになった松子

 松子はポンチーノから、会社を辞めたことを世間に言わないでくれという条件をつけられた。
No.2で働いていた松子が辞めたとなると、自分の信用がなくなると思ったのだろう。
『大丈夫!最初っから信用ないから!』と、肩を叩いてハゲましてあげたいところだったが、ポンチーノの頭はかなり薄くなってきていたため、これ以上は気の毒だと思い、松子はハゲますことは辞めておいた。
 そんな松子の優しさにも気づかず、ポンチーノは松子に支払うべき給料も、自分の趣味の店の開店資金に使い、『辞める人間にやるお金は一つもないもんねー、あっかんべー』と、松子には徹底的な意地悪をした。
松子が泣き寝入りするのを待ったのだ。
松子は、じっと耐えて口ずさんだ。
『1円玉の旅ガラス〜♪(1円くらい持たせてくれ〜♪)』
そうして松子は、カラスの巣を飛びたった。

 40過ぎた女が、すぐに就職などできるのだろうか。
しかも役員だった松子には、雇用保険がかけられてなかった。
ポンチーノの友人でファッション業を営んでいる社長がいる。
元来、松子よりアダ名をつけるのが大好きなポンチーノは、この社長のことをニワトリと名付けていた。
髪型がニワトリみたいだからだ。
テレビにも出たがりなので、ファッションとニワトリが一致したら、この人物だと思ってもらってまず間違いない。
ニワトリ社長は、松子の噂を聞いて、とある会社の社長をやらないかと社長業の話をもってきた。
つい先日、そこの社長が失踪してしまった会社らしい。
(そんな会社やだよ。涙)と、松子は思った。
ニワトリ社長は松子に尋ねた。
『経営者には何が必要か分かるか?』
松子はこう答えた。
『1を10倍に膨らませて語る。 出来ないことを、さも出来るかのように言う。』
『なので私には経営者は無理です』と断った。
ニワトリ社長は、言葉を失い『相当、いい経営者の元にいたんだな』と言った。
精神的にも疲れ切っていた松子に、ニワトリ社長はこう言った。
『お前はノミだ』と。
ノミは、どう頑張っても30センチしかジャンプできないという意味だった。
ニワトリには言われたくなかった。
(いつか、思い知るがいい、ノミのジャンプを。。。。)

 辞めたことを世間に言わないでほしいと言われた松子は、約束を守り、前職とはまったく接点のない東京にいる著名人、伊武雅刀に相談した。
すべてを失った松子に残ったものは、唯一『人』だった。
松子は、伊武雅刀のひと声で、退社後すぐに人材派遣の会社に入社。
長年、人材を扱ってきた松子にとって、人材を扱う仕事は大変興味深かった。
タマネギ倉庫を改装したボロボロの事務所から、高層ビルのオフィスに出勤するようになった。
もう暴力に悩むこともない。
資金繰りに悩むこともない。
経営者から『あかんベー』と、舌を出されるようなこともない。
かつての自由な服装から、スーツを着てみた。
営業マンが持つ堅いバックを持ってみた。
数回しか乗ったことのない地下鉄にも乗ってみた。
松子は、かつてのアリ地獄からの脱出を果たしたのである。

 しかし、ある朝、松子はスクランブル交差点のところで、ふと身体が固まった。
信号が青になると、いっせいに黒い生き物がウヨウヨと動きだした。
あっちに行くもの、こっちに行くもので、アスファルトの上に黒い生き物が行き交っている。
グラフィックス5.jpg朝になると、地下鉄○番出口の穴から、ゾクゾクと地上に出てきて、夕方になるとゾクゾクと同じ穴の中に戻ってく光景を目にした。
松子の目には、地下鉄の出口そのものが、アリの巣に見えたのだ。
松子は悟った。

『私はアリ地獄から脱出して、今度はアリになったのだ。』と。

夫もなくなり、家もなくなり、全てを失って、松子はやっとアリ地獄から脱出した。
なのに松子は、アリになっていた。
松子はこの時、あの『よもぎ虫』とはまた違う感触を覚えた。

松子の人材派遣会社とらばーゆ。
それを待ってましたといわんばかりに、派遣切りのニュースが毎日うんざりするほど盛んに流れた。


地雷はすぐここに

 まさかのタイミングで、松子は派遣会社の新規開拓の営業マンになった。
世の中、派遣切りだっちゅうのに、
派遣社員いらないっちゅうのに、
営業マンやったことないっちゅうのに、
思いっきり営業マンになってしまった。
2006年、嫌いな事への挑戦でホノルルマラソン、2007年、不可能な事への挑戦で小説家、2008年やりたくない事への挑戦で嵐の富士山登頂。
次はカンボジアあたりに地雷探しに出かけたいと、松子は真剣に思っていたが、そんな心の余裕はなくなっていた。
この挑戦に何か意味はあるのか。
ピンチの神様も松子を見捨てたか、ありものの歌も出してくれなかった。松子は身も心もカラカラになって、元気を失っていった。
そんな時、松子は新子と飲んで帰宅し、ストーブの前でそのまま眠った。そして、夜中3時頃、松子は全身乾燥しきって目を覚ました。
その時、松子が即興で作って歌った曲が?
コレだ〜。1、2、3(ワンツースリー)

『Oh!起きたと思えば、カラカラべーべー♪ 上から下まで、カラカラベーベー♪』

この時の反響があまりにも大きく、太郎子と次郎子が次々と起き上がってきた。『もう一度歌って〜』と大喝采を浴び、おだてに弱い松子は3番までの歌詞をつけ歌った。
太郎子と次郎子は、携帯に録音し終わると、さっさと寝床に戻って行った。
松子は『Oh!娘にも捨てられ、カラカラべーべー♪』と歌い叫んだ。

 新会社では、毎朝、朝礼で壁に掲げられている5原則を唱えていた。
いかにもサラリーマンという感触は、松子にとって新鮮な一面もあった。
こうして働く人たちは、気を引き締めて朝のスタートを切るのだ。
前の会社でも、朝礼の時にやれば良かったな。などと、松子は心の中で思い返したりしていた。
ところが、その原則の一つに『助け合いの精神を大切にしよう!』という言葉があった。
毎日唱えているのに、助け合うどころか、居ないところで批判ばかりしていた。
それより何よりも、5原則が書かれた紙が額の中で大幅に曲がっていた。
支店長も、気付かずなのか、曲がったまま唱えていた。
全員、曲がったままの額をみて、毎日唱えているのだ。
もし、ポンチーノが社長で、この事実を知ったら、間違いなく全員、北朝鮮の牢獄行きか、支店長は両足切断の刑に処せられるだろう。
と、ポンチーノを誉めてみたつもりだが、この会社は黒字経営の立派な大会社だった。
No.2の主任は頑張り屋で、毎朝、とんでもなく低いテンションで、営業マンのやる気を一生懸命に下げていた。
それでも会社は大きく成長していくものなのだと素直に感心した。
順応性の高い松子は、曲がった紙に合わせて首を曲げて読んでいたが、本社から社長がやって来ると聞いて、とても優しいお姉さまに恐る恐る手伝ってもらい、まっすぐに直した。
『これで、よし!』と、同時に、この時松子は、完全に踏んではいけない地雷を踏んだ。
 カンボジアに行かずして、簡単に地雷を踏んでしまった。
松子は心に決めた。『伊武雅刀に恩返しを。この会社に新規開拓のお土産を。目標半年!』

2008年初秋、嫌われ松子のアリ人生がスタートした。
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覗き窓に身長届かず、必死にそんなに目的を果たすパンツマン

ちょっとの隙間から


頑張る

がんばる

ガンバル       

頑張らなくてもいいんだよ  

松子退社後、僅か半年でポンチーノはホリエモンの仲間のゴリエモンという株主に会社を奪われ、身一つで会社を追い出されてしまった。松子がポンチーノと名コンビ?で、身を削って守ってきた会社は崩壊。現在は会社名を変えて奮闘している。一方、ポンチーノこと本名よしひろは、舌を出しながらも逞しく生き残っている。アリになった松子は、伊武雅刀への恩返しを経て、2009年、ニワトリに言われたノミに変身。ノミのジャンプで自力で小さな会社を設立。民事相談員はまったく当てにならないので、海老蔵他、たくさんの若者を鍛え逆襲に備えている。

松子『さて、自称、変態プロデューサー、おひとりさまボウリング2が、やっと出来ましたよ。』

変態P『読んだけどさ、いんだけどさ、今回ボク、一つも出てないじゃないですか〜!(涙)』

松子『だから、今、出したじゃないですかっ!!』
                      (ったく〜。そんなに出たかったんかい。)

おわり